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埴生町 (千曲市) から、長野市問御所の町へ

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諏訪角の角の意味を聞かれる。祖父の名前が「角平」で、「すわかく」さんと屋代駅周辺の皆さんに呼ばれていた。材木商から、食品、穀や、製材業と商売を時代の流れの中で変えてきた。

写真は、父、諏訪繁雄が東京で甘納豆菓子製造の丁稚奉公の上、帰郷、結婚し、二人の娘を持った頃。

 

suwakaku_yashiro_14.jpg 父、諏訪繁雄が、千曲市から長野市に製菓材料店を構えたのは昭和23年、場所はこの地。問御所の交差点八十二銀行の側を善光寺に向かうと本屋の「朝陽館」さんの前を通り過ぎ二軒ほど進むと、左手に向かう小路がある。

 

角に「横田屋提灯屋」さん、左手に曲がって4,5軒のところに小さな店舗があった。小学校になったころなので良く覚えている。いろいろな形の提灯が天井からも飾られていた。

店内の奥で竹ひごを木枠に巻きつけているおじさんが、いつも座って仕事をしていた。さまざまな形と、大きさの違った提灯を作る手早い仕事ぶりに興味を持って覗いていた。

権堂通りの中ほどにあった「丸光百貨店」が新店舗を構えたのが、ここ問御所である(昭和31年)。

地下の菓子コーナーに「すわ角の甘納豆」をお届していた。問御所にデパートが開店してからは、甘納豆の納品の際には、裏通りは良く通っていた。

「太平堂パン屋総本店」もあった。中央通りから「ボタンや」さんの角を曲がって裏道に入ると目につくのは左手のお医者さんの家だ。病院の玄関口の脇に綺麗に磨かれている黒のダットサンの乗用車がいつも止まっている。車と会えることも楽しみの一つだった。

 「丸光百貨店」への納品が終わると、裏通りを右手に曲がり、権堂から駅に向かう通りを横切る。権堂の方面右手には、老舗の砂糖問屋「丸星商店」さんが店を構え、左手の角には「長野保健所」があった。

「丸星商店」の大きな蔵を見ながら、鍋屋田小学校正面を通って昭和通りに抜ける。正面には、父繁雄が問御所の小さな借家から移った「諏訪角商事株式会社」があった。

suwakakusyoji_12.jpg 

甘納豆の製造工場「有限会社諏訪角商店」は、千曲市から長野市に移っていた。現在「トラットリアジョイア」、「カフェダルドージェ」チーズ、ワイン、食材を販売する「アグリナシェンテ」のある居町55番地の場所であった。

 昔のことを思い出しながらの長い時間が過ぎていた。

3度目の電話で催促をすると、「SBCビル」の正面付近で待っているとのことであった。既に40分は経っていた。

神田さんに、ここでバールをやったらどうだろうと話して、居町の「カフェダルドージェ」に戻った。

神田さんは、カフェラッテ、二人で煙草を吸いながら、エスプレッソをテラスで楽しんだ。

 問御所への想いは頭の中にしっかりと刻まれていた。

空いているだろうか、家賃はいくらと言われるのか、お客様にお越し頂けるだろうかなどなど考えながら、自宅に戻った。

コメント(3)

 写真がとても「いい時代」を感じさせます。
今のように便利ではなくても、人の温もりや心が生きていた
よき時代だったと思います。

 

私の叔母が「スワ角と言ったら甘納豆でしょ。」と
言っておりました。

「スワ角と言ったら甘納豆」叔母さんに感謝いたします。
甘納豆の製造とチーズ加工の期間が10年間ありました。その間信濃毎日新聞に掲載した広告を「サロン」ご覧いただけます。
下記のアドレスです。
http://suwakaku.co.jp/suwa/2010/01/post-57.php

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